安保法案成立

野党の抵抗も虚しく安保法制が成立してしまった。
野党は安保特別委員会で委員長の不信任決議案の提出、参議院で内閣問責決議案の提出、衆議院内閣不信任決議案の提出などいつもの手段で抵抗をしたが時間切れで与党の多数で可決されてしまった。この野党の抵抗についてネットでも牛歩などは邪道だとか見苦しいという批判が見られた。しかしこの安保法案に限らず安倍内閣の提出した法案については国会での議論を通じていろいろな問題点が指摘され明らかになっていたが与党側は「指摘は当たらない」と言うだけで修正をしようという動きがまったく見られなかった。すでに選挙で多数を握っている与党は手順さえいつでも可決できるので批判側がいくら追求しても知らん顔をすれば何も手出しができない。野党にできるのは時間を稼いで会期末の時間切れで審議未了廃案にすることだけである。そういう点で今回の野党の行動に対する批判というのはかならずしも当たらないというのが私の考えである。
もうしばらくの間はこの法案についての問題点を少しづつでも検討していくつもりである。

いわゆる砂川判決

  • 事件番号
    • 昭和34(あ)710
  • 事件名
  • 裁判年月日
    • 昭和34年12月16日
  • 判例集等巻・号・頁
    • 刑集 第13巻13号3225頁
  • 判示事項
    1. 刑訴法第三五条但書の特別の事情がなくなつたものと認められた事例
    2. 憲法第九条の立法趣旨
    3. 憲法第九条第二項の戦力不保持の規定の立法趣旨
    4. 憲法第九条はわが国の自衛権を否定するか
    5. 憲法はわが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするための自衛の措置をとることを禁止するか
    6. 憲法は右自衛のための措置を国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定し、他国にわが国の安全保障を求めることを禁止するか
    7. わが国に駐留する外国軍隊は憲法第九条第二項の「戦力」にあたるるか
    8. 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(以下安保条約と略す。)と司法裁判所の司法審査権
    9. 安保条約がいわゆる前提問題となつている場合と司法裁判所の司法審査権
    10. 安保条約は一見明白に違憲と見められるか
    11. 特に国会の承認を経ていない安保条約第三条に基く行政協定(以下行政協定と略す。)の合憲性

国連における'impartiality'


 一方、国連PKOにおいては、「impartiality」は、どの当事者にもひいきや偏見なく任務を遂行することとされており[10]、その観点からは「不偏性」という和訳がその意味に一番相応しく思えます。ここでは紛争当事者ではなく、また受益者でもなく、任務遂行に向けた「不偏性」を指します。文民保護等といった任務を全うする際、中立性を犠牲にしてでも、任務遂行を妨害する要因を除外する覚悟が窺えます。「良い審判員は、不偏であるが、違反に対し罰を課すのと同様に、国連PKOも和平プロセスの違反や、国連PKOが支持する国際規範や原則に反する行為を見逃してはいけない」、と上記国連文書は述べています[11]。
 我が国の国際平和協力法では、「いずれの紛争当事者にも偏ることなく」と規定されています。我が国では、PKO参加5原則の議論は武力行使に集中しがちですが、同時に「中立性」や「impartiality」原則の変遷を十分考慮する必要があると考えます[12]。またimpartialityにしても、人道支援やインフラ復旧支援に限定した「公平性」を追求するのか、あるいは文民保護等といった新たな規範を遂行するにあたり、不可欠な「不偏性」を重視するのか、我が国の特殊性と国連PKO任務との融合性を勘案した議論が期待されます。

PKO五原則


わが国が国際平和協力法に基づき国連平和維持活動に参加する際の基本方針のことで、

  1. 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
  2. 当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊へのわが国の参加に同意していること。
  3. 当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
  4. 上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
  5. 武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。

の5つを指し、それぞれ国際平和協力法の中に反映されています。

国連平和維持活動における武器使用

国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律
(武器の使用)
第二十四条第二十五条 前条第一項の規定により小型武器の貸与を受け、派遣先国において国際平和協力業務に従事する隊員は、自己又は自己と共に現場に所在する他の隊員若しくはその職務を行うに伴い自己の管理の下に入った者の生命又は身体を防衛する防護するためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で、当該小型武器を使用することができる。
(略)
7 第九条第五項の規定により派遣先国において国際平和協力業務に従事する自衛官は、その宿営する宿営地(宿営のために使用する区域であって、囲障が設置されることにより他と区別されるものをいう。以下この項において同じ。)であって当該国際平和協力業務に係る国際連合平和維持活動、国際連携平和安全活動又は人道的な国際救援活動に従事する外国の軍隊の部隊の要員が共に宿営するものに対する攻撃があったときは、当該宿営地に所在する者の生命又は身体を防護するための措置をとる当該要員と共同して、第三項の規定による武器の使用をすることができる。この場合において、同項から第五項までの規定の適用については、第三項中「現場に所在する他の自衛隊員、隊員若しくはその職務を行うに伴い自己の管理の下に入った者」とあるのは「その宿営する宿営地(第七項に規定する宿営地をいう。次項及び第五項において同じ。)に所在する者」と、「その事態」とあるのは「第七項に規定する外国の軍隊の部隊の要員による措置の状況をも踏まえ、その事態」と、第四項及び第五項中「現場」とあるのは「宿営地」とする。

武力の行使とは


○藤島委員 政府は、北朝鮮の船の入港の問題でも、何もできない、できないとずっと言い続けて、何もできないとはおっしゃらなかったですね、川口さんも。一部できるものがあるというような答弁だったんですけれども、結果的には大変なことがやれて、事実上入港阻止できた。そんなことをやれるわけですね。
 今の答弁ですと、やはり同じようなことが、ある程度はやれるけれども、はっきりさせるには新しい法律の方がいいだろうということで、本当はなくてもやれるような部分であり、今回の法律は要するに自衛隊を送るための法律だ、そういうふうにおっしゃっているというふうに理解をしておきたいと思います。
 それじゃ、もう一点について伺いたいんですが、自衛隊の武器使用の件ですけれども、これは私が現役時代担当して、法制局と随分やり合って、結局、武力行使に該当してもいけないし、あるいはよその国の軍隊とやる場合、一体化してもいけないという二点があって、ぎりぎりのところ、最初に自然権的な権利ということでPKO法に盛り込まれた経緯がありますね。その後、それだけじゃ狭過ぎるということで、実は前回のような、一緒にいる人のところまで防護できるというところにちょっと膨らんだわけです。
 今度は、要するに、いろいろな要請からすれば、業務遂行上、それを阻害される場合に、それを排除するための行為、これができないと意味がない。これができるぐらいでないと、先ほど首藤議員も言いましたけれども、非常に治安状態が危ない状態になって、どこがいいとかどこが悪いという状態じゃないという状態に自衛隊を送った場合に、必ずこの問題が来る。
 この問題を解決しないまま本当に送ったら、自衛隊が本当に犠牲者が大変なものが出る。犠牲者が出てから、やはり武器の使用についてちゃんとしておけばよかった、これじゃ間に合わないんですよね。今まで、確かにルワンダだとかモザンビークだとかカンボジアだとか私も全部行ってきましたし、たまたま自衛隊にそういう事故がなかった。しかし、現場に行ってみればわかりますけれども、大変自衛官は緊張した状態で過ごしているわけですよ、結果的にそういう状態がなかったということなんですけれども。
 今回行かせる行かせないの根拠は別の問題ですけれども、私は非常に問題があると思いますけれども、行かせるからには武器使用はきちっとしてやらないかぬ。今回に関して言えば、もしこれを直さないまま行かせることは非常に危ないと思うんです。
 ただ、これは今まで法制局の、私が先ほど申し上げたような二点の問題があって、なかなか簡単じゃない。これが簡単にクリアできるようであれば、国民世論の関係もあって、武器をもっと大きなものを持たせ、あるいは、使用ももっと国際的なスタンダードに変える。これはもっと早くからできたはずなんですね。ところが、この憲法解釈の問題でなかなか進んでいなかった。ただ、法制局も、今の規定だけでもう目いっぱいであとは全然できないと言っていたわけじゃなくて、大変グレーな部分があるというような表現もしておったわけです。
 この件についてもう一度、法制局の現時点での、法制局も、ある時点で決めたらそれで一歩も進まないというわけじゃないので、先ほどの自然権的なものからだんだん進んできているわけですけれども、このグレーの部分の解釈といいますか、今回の、いわば自衛隊をやるのならそうしてほしいという国民的な要請、こういうのを踏まえて、現時点での考え方を伺いたいと思います。
○山本政府参考人 御指摘の点は、従来から相当に検討が進んでおるところでございます。
 現在の考え方でございますけれども、いわゆるPKO法、それからテロ対策特別措置法におきまして、自己または自己とともに現場に所在する他の自衛隊員、もしくはその職務を行うに伴い自己の管理のもとに入った者の生命または身体の防衛のため、その防衛の武器の使用を認めておるわけでございます。
 これは、御指摘のとおり、まさにいわば自己保存のための自然権的権利というべきものでございますので、そのために必要な最小限度の武器の使用というものは、いかなる場合も憲法九条一項の禁ずる武力の行使に当たらないという考え方に基づいてやってきております。
 このように、武器の使用がすべて九条一項の禁ずる武力の行使に当たるとはもとより言えませんけれども、政府は、武力の行使とは、基本的には国家の物的、人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいうというふうに解してきておりますので、その相手方が国、または国に準ずる組織であった場合でも、憲法上の問題が生じない武器の使用の類型といたしましては、従来の自己等を防衛するためのもの及び自衛隊法九十五条に規定するもの以外にはなかなか考えにくいというふうに考えております。

安全保障の環境の変化とは

そもそも今回の安全法制は米国からの要請によるものであるというのは周知の事実で自衛隊と米軍との共同訓練ではすでにそれを先取りしたものが行われている。しかし建前として国会での審議においてはたとえば


安倍内閣総理大臣 まさに今、高村委員から、抑止力とは何かということについて本質的な議論をしていただいた、このように思います。
 まさに抑止力とは、日本に対して攻撃をする、あるいは日本を侵略しようとすれば相当の打撃をこうむらなければならないということを覚悟しなければいけない、となれば、それはやめておこうということになるわけであります。すきがないか、しかし、すきがないということになれば、それはやはりやめておこう、それは外交的に今後解決していこうということになってくるわけでありまして、相手にそういう気を起こさせない、これこそ未然に防ぐ抑止力になっていくわけであります。
 先ほど申し上げました三つの法の支配の原則に立ち戻る、どの国も立ち戻っていく、こういう常識を多くの国々と共有する上にも、我が国もしっかりと抑止力、未然に防ぐ力を持っていく必要があるんだろう、このように思います。
 先ほど、刀は抜かないものだ、刀を持っていることによってこれは抑止力になる、こういうお話もいただきました。しかし、その刀が決してさびてはいないし、この刀が一旦抜かれればこれは大変だということを相手が認識していれば、結果として刀をさやから抜くことはないということになるわけでございます。
 そのための、まさに今回の全体的な法制であるわけでございまして、国民の命と平和な暮らしを守るための、グレーゾーンから集団的自衛権の一部容認に至るまでの切れ目のない法制を進めていく。起こってから考えればいいではないかという人がいますが、それは、まさに安全保障の議論においては、起こらないようにしていく、未然に防ぐことに力を傾注していくのは国民の命を守る責任ある立場としては当然のことなんだろう、こう思うわけであります。
 その中において、日本が攻撃を受ければ、米軍は日本を防衛するために力を尽くしてくれるわけであります。そして、安保条約の義務を全うするため、日本近海で適時適切に警戒監視の任務に当たっています。
 しかし、現在の法制のもとでは、私たちのため、その任務に当たる米軍が攻撃を受けても、私たち自身に攻撃が発生していなければ、攻撃がなければ何もできない、何もしないということであります。果たしてこれでいいのであろうか、果たしてこれで本当に日米で共同対処して日本を常に守っていることができる、守っているんだということが確立されるかということであります。
 少なくとも、この中において、日米安保条約がしっかりと機能しているんだと思われる、海外からそう思われるようなメッセージをしっかりと出していくことが必要であろう、こう思うわけであります。
 今回の法制はまさにクリアなメッセージになっている、このように思うところでございます。

安倍内閣総理大臣 この二、三十年の間、安全保障環境は大きく変化をしてきているわけであります。特に、アジア太平洋地域をめぐる安全保障環境は変化をしています。
 例えば、自衛隊スクランブル、防空識別圏に通告なしで入ってくる外国の爆撃機やあるいは戦闘機等々、外国というか国籍不明機等も含めますが、に対するスクランブルは十年間で七倍になっているわけでございます。
 そして、北朝鮮弾道ミサイルを数百発持っていると推定されるわけでありまして、それに搭載する核の技術も向上させているわけであります。
 また、中国の台頭、そして東シナ海南シナ海における活動、さらにはサイバーあるいはテロ、過激主義、そうしたものはまさに国境を越えてやってくるわけでありまして、もはや一国のみで自国を守ることができる時代ではないわけであります。
 だからこそ、日本の安全保障政策の基軸であります日米同盟をより強固にしていく、国際社会との協力を一層深めていくことが求められている、このように思います。

というような理由が挙げられている。一つはアメリカからの求めに応じて共同行動を広げていくことが公然と語られている。もともとは日本は武力行使について他国との一体化はできないということになっていて非常に厳しく制限をかけていたが、今回はアメリカからのニーズがあるからと武力行使の範囲を狭めていろいろなことが許されるような法制となっている。主権国家として非常に主体性の無い話である。
また日本の周辺での安全保障環境が大きく変わったということが挙げられている。たとえば航空自衛隊によるスクランブルは「十年間で七倍になっている」と言われている。



たしかに10年前の7倍にはなっているが、冷戦時代に比べると多くなったわけではない。たまたま10年前は一番少ない時期だったということで数だけで議論するのはほとんど無意味と言って良い。「北朝鮮弾道ミサイルを数百発持っていると推定される」ということについてもやはり冷戦時代のソ連の核ミサイルが日本の米軍基地を射程に入れておなかったという保障はない。ただソ連には日本は全く手が出せなかったが、その後イージス艦などを導入したこともあって北朝鮮のミサイルであれば日本もミサイル防衛の一部を担っているいうことはその当時とは異なっている。しかし専守防衛ということであれば現行のシステムに大きな欠陥がある訳でもなく、また自衛隊の海外での活動を広げていくことが日本の国土を守ることになるということの理由となるのは考えにくい。
そういう点でも安保法制を今この時期に無理に通すことの必然性はないと言える。