id:Sokalianの「誤解」

猿ではわからん「トリアージ騒動」5つの誤解 - 吾輩は馬鹿であるについて。
「誤解その1:「最適」概念は価値判断の強要である」

福耳氏は、「ある状況で、ある価値基準に沿えばトリアージが最適である」ということを言ったまでであって、「トリアージは無批判に肯定されるべきである」とは言っていないのである。従って、福耳氏やその擁護者に「お前はトリアージされても文句を言うな」というのは筋違いな批判である*4。

この中の

福耳氏は、「ある状況で、ある価値基準に沿えばトリアージが最適である」ということを言ったまでであって、

http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080927/1222495855

というのはあまりにことを単純化している。
fuku33氏の元のエントリには

この人たちの目に映るのは「目の前の最善」だけで、「全体や組織から見た最適」というのはコンセプト自体が頭の中にないのだ。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127

とあって間接的表現ではあるがトリアージは「全体や組織から見た最適」であると述べている。fuku33氏がここで「全体」とか「組織」という言葉で何を指しているのか不明だが、Sokalian氏は

救急救命の組織に経営学が適用できる、というだけの話がどうして理解できないのか、そのことの方が私には不思議でなりません。

というように「組織」というのは「救命救急の組織」だと書いている。
fuku33氏は「全体や組織」という言葉で何を示そうとしたのか。勘ぐると恐ろしいことになりそうだ。
次に

トリアージは無批判に肯定されるべきである」とは言っていないのである。

誰も「トリアージは無批判に肯定されるべきである」なんて主張はしていないでしょう。トリアージの中身について批判している人はいなかった。同じくSokalian氏も

仕方ないですね。他にマシなやり方がないんですから。あるなら、こんなところでつまらない議論をしていないで、然るべきところに掛け合って、大々的に発表してみてください。世界中から感謝されますよ。冗談抜きで。

http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080822/1219418213#c1220193697

と現行のトリアージを「最適」だと認めている。「お前はトリアージされても文句を言うな」というのはやや筋違いだが、トリアージ を認めるなら「する立場」になっても「される立場」になっても文句は言わずにガイドライン通りに行動すべきである。
  
「誤解その2:福耳氏は経営学トリアージを適用した」
Sokalian氏のいう誤解「福耳氏は経営学トリアージを適用した」については、前提が書いていないので一概に誤解とするのはおかしい。まず「福耳氏は経営学トリアージを適用した」という主張は誰がしていたんでしょう。経営学の講義の中で「トリアージ」をとりあげ、そこに内在する「緊急事態」「命の選別」を無造作に持ち出したような文章を書いていたことが批判されていた。
  
「誤解その3:福耳氏は百貨店の話にトリアージを持ち込んだ」
Sokalian氏の言いたいのは、fuku33氏は講義でイライラしたことの愚痴を実名でブログに書いただけじゃないかということ。fuku33先生はそんな狭量な先生だということを言いたいらしい。
  
「誤解その4:福耳氏は「かわいそう」という感情を圧殺した」

この人たちの目に映るのは「目の前の最善」だけで、「全体や組織から見た最適」というのはコンセプト自体が頭の中にないのだ。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127

これで充分でしょう。「全体のために君は見捨てられる」というのがトリアージであると。
  
「誤解その5:トリアージホロコーストに類推させることは問題がない」
トリアージホロコーストとを直接に結びつけた議論は誰もしていないですね。

ホロコーストは「人命軽視」「人種差別」といった価値観を前提にしており、苦しい状況の中で「公平性」「人道性」を最大限に保とうとした「トリアージ」とは性質からして対極にある。

という説明は誤りである。ホロコーストは「人種差別」ではなかったし、トリアージには「公平性」はない。逆にホロコーストには「公平性」があったし、トリアージは「人命軽視」ではないがあるところで人命の線引きをしている。ホロコーストは「人種差別」ではないと書いたが、もちろん現在の視点からは「人種差別」である。これは当時と現在ではその「差別」が「合理性のない不当な差別」かどうかという価値判断が違うからである。(頭の悪い人は「区別」と「差別」は違うなんて言い張るが、「差別」することが悪いことだなんて考えてはいけませんね。)

資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1

  
Sokalian氏が書けば書くほどfuku33氏の学者としての立場や人間性がどんどん小さく見えてきてfuku33先生が可哀相だ。