id:Sokalianの終演

昨日のエントリで書いた

>他人が記事を訂正するのを捏造だの改竄だの
訂正ってなんですか。fuku33氏の元のエントリは何が間違っていてそれをどのように正しく書き直したのですか?元のエントリの間違っていたところを書いてくれ。

>「経営学高二病
私ははっきりわかりません。教えてください。

>何のためにナチスなんかを
持ち出したのはホロコーストです。まさかhokusyu氏の「というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。」をまともに受け取ったわけではあるまい。これは皮肉であり反語であるのを理解していなかったとは言うまいな。その下に「いやだって、どう見ても上のって全体主義理論じゃん!」と否定してるのが読めていなかったとか言わないでくれ。君の好きな反語表現だろ。

あたまがわるい」と書くことは「社会人としては軽率」ですか。はあ?君は本当に「お金持ちのお嬢さん」と同じくらいナイーブなんだな。「軽率」どころかりっぱな「批評」であり「批判」だろ。本当に日本語読めてますか、としか言えない。

http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20081124#c1228316557

についてふと思い返してSokalianのエントリを見返してみたらコロコロと主張が変わっていることがありありとわかる。最初のころはトリアージ経営学上での最適解だと言っていたのに、後の方では経営学トリアージとは別の話題だと強弁している。その中で見つけて思い出したのが

これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。

このように書いておいて「経営学ナチスではない」と強弁するのならばおよそ他人の失言(?)をとがめ立てする資格があるとは私には思えませんが、それは単なる私の主観なのでさておくとしても、

http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080812

と言う記述である。「私の主観なのでさておくとしても」と大して問題にしていないことにも一貫性の無さが見受けられるが、この後には私が引いたように「いやだって、どう見ても上のって全体主義理論じゃん!」という記述が続く。その一文が有るか無いかで引用された部分だけだと読み方が違ってくるかもしれない。もちろんこれを読んでいる人はhokusyu氏の元のエントリを読んでいる人が大半ですから大して影響はなかったでしょうが、なぜ関西人なのにボケツッコミのツッコミを省いて印象操作をするんでしょう。やはりhokusyu氏の肝心のエントリが読めていなかったんでしょう。本人が

都合のいい部分だけを切り出して「相手の論点をきちんと理解しようとしない人」とか言われましてもね。あなたたちこそ「相手の論点をきちんと理解しようとしない人」ではないですか。まともに相手をする気をなくしているのはこっちですよ。あまりの曲解にあきれ果てて吐いたセリフを、勝ち誇ったように引用されましてもね。

と言っているのにやっていることは真逆のことばかり。「あまりの曲解にあきれ果てて吐いたセリフを、勝ち誇ったように引用されましてもね。」というのは

一言言っておきますけど、「ファシズム」とか「軍靴の足音」というのは単なる皮肉なので、まともに受け取られても困ります。あなた達がたとえば橋下徹に対して「ハシズム」なんて言葉を使ったり、たとえば田母上論文のような「馬鹿が自滅した」だけの出来事を「言論クーデター」だなんて言ってみたりするような、そういう言語感覚を当てこすっているんですよ。

http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20081204#c1228407135

というような前の発言との矛盾を突かれたときにこういう風に後付けで皮肉ったものだったとか反語表現だったとか言い訳をしているのを無理に正当化しているものにすぎない。
hokusyu氏が「経営学ナチスだ」とは言っていないのだから彼の批判の根拠はすくなくとも一つはずっと前に消えている。自分の立場はどんどん後退しているのを理解したくないばかりに

それなら、ナチスを引き合いに出してまであんな「パフォーマティブ」(笑)な物言いをしたり、福耳氏や経営学を「あたまがわるい」とか「高二病」とか馬鹿にするような言動をしなければよろしい。どれだけの人間に不快な思いをさせているかわかってるのですか。

と結局不快感しか主張できなくなっている。で、「高二病」ってどういうものなんでしょう。
彼が一連の議論で「ホロコースト」でなく「ナチス」という言葉を連発するのはhokusyu氏の「というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。」を今の今までまともに肯定文と受け取っていたからではないかというのは穿ちすぎだろうか。もしそうだとしたらさすがにもうSokalianという名前で何か書くことはまともな人間なら恥ずかしくてできないでしょう。いずれにしても

しかし、Sokalianという名を名乗ったのは本当に的確だったと言わざるを得ません。ソーカルに問いつめられた人たちは「自分はそこまで極端な主張をしたつもりはない、ごく当たり前のことを思わせぶりに言っただけだ」と苦しい弁明を強いられたということが多くあったようですが、ここでも全く同じ展開になったようですね。我ながらことがここまでうまく運びすぎるとは恐ろしい。

という寒いギャグはもうやめてほしい。