トリアージ騒動について

最近また「トリアージ騒動」が再燃しているようなので遅まきながら論を追いながら自分なりにまとめておこう。既にいろいろな方がいろいろな視点で論じられているので既に私が何か書いても新しいものにはなりそうもないが。
まずことの発端は福耳先生ことid:fuku33氏の

でした。大学の福祉系学科の大学生に経営学を教える際に、資源配分の例としてトリアージを持ち出したときの学生の反応への愚痴を書いたエントリである。ただし現在見える内容は何度も書き直されているもので、当初のエントリの内容はid:Rir6氏が

として示されています。
この福耳先生のエントリに対して様々な議論がおこったのが「第一次トリアージ騒動」でです。

など数えきれないほどの批判が起こりました。
特に最後のid:hokusyu氏が「限られたリソースを適切に分配すべきである」の「適切な配分」にホロコーストを例としてあげたことが大きな問題となりました。

さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる

経営学者様はこれが肝心だといいます。例として彼は四川大地震をあげました。ぼくもひとつ適切な例を知っています。ホロコーストです。

資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる

これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。

いやだって、どう見ても上のって全体主義理論じゃん!

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1

id:hokusyu氏のエントリはこれに限らず若干言葉が足りない部分があるかもしれないが、論旨は決して分かりにくいものではないのにどうもきちんと読み取れない方々はたくさんいたようです。
その当時id:sjs7氏がhttp://d.hatena.ne.jp/sjs7/20080526/1211798066を書かれました。
私はその後この話題についてあまり目にしていませんでしたが、ずっと続いていたようです。