科学哲学のセミプロ

トリアージ騒動にはいろいろな人が議論に参加している。その中で一番インパクトがあったものが、これ。

>CloseToTheWall
あなたはここの他の人に比べるとだいぶましな反論をしてきますね。しかし、「優生学がもし学問的に正当なものとして認められるようになっていたとしても、ホロコーストは批判されなければならないんです。」というあなたの主張は私には到底認めることができません。もし仮に今、優生学が正当であって全人類の繁栄のためには倫理に目をつむってでもホロコーストが不可欠であるという結論が出たとするならば、それはトリアージと同様に「正しい」と私は認めます。私たちは今ここにいるからホロコーストを批判できるのです。当時、優生学の正当性、そしてホロコーストの正当性を信じていた人間にホロコーストを批判することなど不可能です。逆にいえば、ホロコーストを批判するには優生学の正当性、そしてホロコーストの目的の倫理的正当性および手段の合目的性をどうにかして反証するしかありえないというのが私の主張です。それ以外の方法であなたはどうやってホロコーストを批判できるのですか?聞かせてください。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p3#c1218980854

説明責任ですってよ、説得ですってよ - 過ぎ去ろうとしない過去のコメント欄でsayok氏が書いたものである。もっともその後で

それから、「倫理に目をつむってでもホロコーストが不可欠」という部分には人権を無視せざるを得ないほど状況が迫られているっていう強い仮定を意図しているんだけどな。もちろんホロコーストではその仮定がなりたたないから批判の対象になる。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p3#c1218984174

なんて言い訳をしているけど。
id:kmiuraさんは2008-08-19 - kom’s log

この発言にいたった瞬間、脊髄反射で「オレが殺されるかもしれないじゃん」と私は答えていた。

と書かれていたが、私は「お前は殺される側かもしれないんだぞ」と突っ込んでいた。
今回のトリアージ騒動でid:fuku33さんを批判するid:hokusyuさんのエントリを批判している人たちは、まず自分がトリアージされる側になることを想像さえしていないのでしょう。また議論のロジックそのものと議論の対象を分けて考えることができないのかもしれない。

もし仮に今、優生学が正当であって全人類の繁栄のためには倫理に目をつむってでもホロコーストが不可欠であるという結論が出たとするならば、それはトリアージと同様に「正しい」と私は認めます。

という元の文章が「正しい」ならば

もし仮に今、民主主義が正当であって全人類の繁栄のためには倫理に目をつむってでもホロコーストが不可欠であるという結論が出たとするならば、それはトリアージと同様に「正しい」と私は認めます。

という文章も「正しい」。さらに

もし仮に今、民主主義が正当であって全人類の繁栄のためには倫理に目をつむってでもid:HALTANの死が不可欠であるという結論が出たとするならば、それはトリアージと同様に「正しい」と私は認めます。

も正しいことになる。特別な前提条件がなければロジックとは独立に議論対象を置き換えることが可能である。そのあたりを曖昧にして「ホロコースト」という言葉だけに拘っている人は議論の筋が追えていないとしか思えない。
でもこんなことは元々のid:hokusyuさんのエントリに親切に書いてあるんですけど。

資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1