id:Sokalianの「読解」

藁人形と戦う前に「最適」の意味を理解せよ - 吾輩は馬鹿であるについて
まずSokalian氏は、福耳先生のエントリの

また、別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。(略)
そりゃあ、この大学のOGが、福祉業界に入って数年で燃え尽きてしまうというのは当たり前だよこれじゃ。この人たちの目に映るのは「目の前の最善」だけで、「全体や組織から見た最適」というのはコンセプト自体が頭の中にないのだ。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127

この部分のみを見て「読解」しているようだ。「別の回に」とあるように確かにここでは百貨店の経営の話とは別の話題だという見方もできる。それは確かにSokalian氏のいう通りだ。それはともかくとして「かわいそうだ」についてはコメント欄延長 - 吾輩は馬鹿であるのエントリに書かれているid:CloseToTheWallさんのコメントで充分だと思う。
#「福祉業界に入って数年で燃え尽きてしまうというのは当たり前だよこれじゃ。」については論外なのは言うまでもない
もう一つ彼の論点がはっきりしない部分があるが、

救急救命の組織に経営学が適用できる、というだけの話がどうして理解できないのか、そのことの方が私には不思議でなりません。

http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080822/1219418213#c

と「救急救命の組織」というものを何度か持ち出している。上に引用した部分だけを見ればここでの話題は災害現場などでの救助隊であるように見える。となればSokalian氏の主張を忖度すると「経営学による救急救命行為の最適化がトリアージとなる」ということなのかなと思われる。目標は「犠牲者を最小化する」である。(本来はこれに対する検討もあるべきだと思うがここではしない)
実際に私とのコメント欄でのやりとりでも

トリアージ」の現場には「最適配分」はありません。だって最適化する余裕なんてないし、さらにいえば検証不可能ですから。

だからこそ、状況をモデル化してあらかじめ分析しておき、対応策を定めておくわけです。念のため、「最適配分」とは、判断時間を考慮した上での「最適」です。福耳氏が「最適である」としていたのも、あくまでモデル上での「最適性」に過ぎません。個別の例に関する「最適性」は、検証不可能とは言わぬまでもかなり困難でしょうから。

と書いている。「トリアージ」というのは上の福耳先生が書かれているように患者を
(a) 患者自身が処置したら大丈夫な患者
(b) 治療しなければ助からないが治療すれば助かるかもしれない患者
(c) もう助かりそうにない患者
の三つにグループ化して(b)に医療資源を集中することである。Sokalian氏は「(b)に医療資源を集中すること」を経営学でいう「最適化」と呼びたいようだ。しかし「(b)に医療資源を集中すること」というのはある意味常識的な判断であり、それ以上でもそれ以下でもない。それって「最適化」なんて大仰なものなのだろうか。あるいはそれだけで「最適化」と言っていいのだろうか。wikipedia:トリアージによれば判定基準の要件は

  • 総傷病者数
  • 医療機関の許容量
  • 搬送能力
  • 重症度・予後
  • 現場での応急処置
  • 治療に要するまでの時間

で判定されるとあるがそれにも言及がない。すなわち(a)と(b)と(c)をどのように区分するかについて何も書いていない。また仮に(b)に対処してさらに救助隊に余力があったときにどうするかもわからない。それでもそれが経営学的な「最適化」だとSokalian氏が言うのであれば経営学って何だろうと思う。