id:fuku33の反論

id:Romanceさんがコメントを書き込めないと書いているのに

私としては、上記のコメントを私のエントリーに対して書いて頂きたいと思います。今回の件で直接の関係者はRomanceさんですから、Romanceさんが書かれたらそれに対して返事を致します。他の方がなにかこの件に触れようとしても、まず Romanceさんを優先して対応します。

http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090207#c1234166076

などとピントのずれた対応をしていたid:fuku33が本当にコメントが書けないことを理解したようで自らRomanceさんへのコメントを書きました。とりあえず保存のために引用しておきます。

fuku33fuku33 2009/02/10 13:43 なにかの技術的トラブルで、当ブログのコメント欄にコメント拒否設定していない方も書き込めなくなっているようです。id:Romanceさんも書き込めないでいらっしゃるようですので、
http://d.hatena.ne.jp/Romance/comment?date=20090207#c
を踏まえて、Romanceさんが書き込まれるはずの問いにひとまず私がここで答えられればと思います。


要点は二つあると思います。まず、
「私は当ブログにおいて、また「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」へのブックマークコメントにおいて、エントリの問題点を指摘した上で批判しているのであり、」
という部分の解釈ですが、普通に読めば「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」へのブックマークコメント」という日本語は、まさにこのまま「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」という「エントリー」のURLにつけられたブックマークのコメント」と解釈されると思います。
Romanceさんは、「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」へのブックマークコメント」という表現を、「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」というエントリーへの批判の意が込められているが直接的には他の第三者が書いたエントリーにつけられたブックマークコメント」を意味されたかったようですが、それは書かれた当人がそのつもりでも、読む方はそんな特殊な読み方は普通しません。
考えてみて下さい。例えばこの件について特に先入観のない第三者に、「Romanceさんの「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」へのブックマークコメント」」を探して私に教えて下さい。」と頼んだら、その人はまず普通に「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」」というエントリーに直接つけられたRomanceさんのブックマークのコメントを指し示すでしょう。
その第三者に、「いえ、実はそれではなく、このブックマークコメントを指し示して欲しかったのです。」と言って、
http://b.hatena.ne.jp/Romance/20080818#bookmark-9662613
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080816/1218813144
このブックマークコメントを見せたら、相手はなんというでしょうか?
「いやいや、これはRomanceさんが「人のやさしさがあふれているから、今日は雨が降るんじゃないかな - 地下生活者の手遊び」というエントリーにつけたブックマークコメントであって、「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」へのブックマークコメント」ではないじゃないですか!」と普通言うのではないでしょうか。
やはり日本語の読み方として、「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」へのブックマークコメント」と書かれていればまず、「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」というエントリーへ直接つけられたブックマークコメント」」と解釈します。Romanceさんはそのつもりでなく書かれた本人だから、自分の表現したい意図と表現そのものの食い違いを客観視されにくくなっているのではないですか。
また、Romanceさんが本当はこう表現したかった、という補足を読んでからこれを読むと、「言いたかったこと」についてのイメージが頭の中に出来て、それが足りない表現を補完しながら読むので、「ああ、そういいたかったのか、そうとも読めるかも知れないのかな?」と錯覚してしまうかも知れませんが、それは典型的な後知恵バイアスだと思います。なぜそういえるかというと、そうやって補完されてやっと成立するように見える解釈が、他の事例では成り立たないからです。また、「Romanceさんが表現したかったのはこういう意味なんだ」と補足部分を読んでそう思えるようになったかと思っても、逆の聞き方をしてみるとどうでしょう。
「でもこのブックマークコメントは、「「人のやさしさがあふれているから、今日は雨が降るんじゃないかな - 地下生活者の手遊び」へのブックマークコメント」ではないのですか?」
こう聞かれて、「そうではない」と答えることは日本語を操るときの生理的感覚としても難しいと思います。「うん、そうなんだけれども、この場合だけは、書き手が表現したかったのはまた別の意味で--」となるのではないですか。日本語の語感として、「「X」へのブックマークコメント」と聞かれれば、先入観のない状態では一般的には「X」というエントリーのURLにつけられたブックマークコメントの意味と解するのが自然だからです。私が誤読をしたという人たちは、試しに中立的な表現で「Aさんが言う「「X」へのブックマークコメント」という表現をBさんはどう理解するのが一般的か」と冷静に見直してみてはどうでしょう。
別の意味をイメージしていたRomanceさんが「そのつもりでなかった」というのなら、「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」へのブックマークコメント」という部分の表現を、「「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」というエントリーへの批判的意味合いが込められてはいるが形式的には他のブロガーが書いた他のエントリーにつけられたブックマークコメント」と書けば間違いではなかったと思います。しかしそうではなかったのですから、私が「Romanceさんの記述には虚偽がある」と指摘したのは間違いではありません。


もう一つ要点があります。私が「子供っぽい嘘」と表現した対象は、「削除照会したブックマークがなににつけられたものか」という点以外にもう一つ、それが「エントリの問題点を指摘した上で批判している」という表現に合致するものではない、という点です。この点では上に書いたとおり、「三宅秀道、何度でも言う 福耳の元エントリは最悪」という二つのタグと11文字の表現はただの悪罵であって、「エントリの問題点を指摘した上で批判している」ものでないのは明らかです。もうひとつの例もそこは言うまでもありません。
私は「「福耳は最悪」というブクマコメントに対して、「私は最悪なんかじゃないですよ」とか言い返すことに意味がありますか?」と書きました。尾籠な表現で恐縮ですがこれはつまり、「うんこを投げられてそれはうんこ投げじゃないかと言い返すことなんか無意味では?」というつもりです。例えば私が「Romance, 何度でも言い返す 福耳の元エントリは最悪に非ず」とか書き返すことにはなんの意義もないでしょう。


はやくコメント欄の技術トラブルが解決すればいいのですが。非常にゲスな勘ぐりをしている人もいるようですし。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20090207/1233980753#c1234240985