トリアージと無知のヴェール

ちょっと一言 - 遠方からの手紙(別館)のコメント欄でid:Sokalianが相変わらず自慰行為にふけっている。

都合のいい部分だけを切り出して「相手の論点をきちんと理解しようとしない人」とか言われましてもね。あなたたちこそ「相手の論点をきちんと理解しようとしない人」ではないですか。まともに相手をする気をなくしているのはこっちですよ。あまりの曲解にあきれ果てて吐いたセリフを、勝ち誇ったように引用されましてもね。

http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20081124#c1227618469

などと頭がおかしいとか思えない発言をしている。その中でid:flurry氏が

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http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080822/1219418213#c1220188313
> このようなとき、倫理学でよく知られた手法として「無知のヴェール」というものがあります。あなたが実際に(災害時)どのような立場に立たされるかを知らないものとして、それでも納得のいくルールを考えよ、それが妥当なルールの一つの目安である、というものです。この線に沿って考えると、結局「トリアージ」を選ばざるを得ないことは明らかです。なぜなら、それが一番助かる確率が高くなるのですから。

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「無知のヴェール」について良く知らなかったので少しだけ調べてみたのですが、ロールズが言い出した無知のヴェールでは「自らがどのような立場に立たされるか(確率すら)分からない」状況であるとき、各人は「もっとも不利な立場のものの利益が高くなる」ようなルールを支持するとされているようです。ゲーム理論で言うところのミニマックスに近いでしょうか。

Sokalianさんの書き方ですと、「誰がどの立場に立たされるのかは等確率であるため、全体の効用合計を最大化するルールと、個人の期待値を最大化するルールは基本的に一致する」だと僕には読めてしまうので良く分からなくなってしまいました。これはロールズの立場と逆だと思うのですが、解説をお願いしてもよろしいでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20081124#c1228008083

と問いを出したのに対してSokalianは

簡単ですよ。トリアージ以上に「もっとも不利な立場のものの利益が高くなる」ようなルールがあり得るかどうか考えてごらんなさい。ちょっと思いつかないでしょう。逆に思いついたら思いついたで、画期的な方法として評価されるかもしれないと思いますが。
なお、資源配分を変えた場合、誰が「もっとも不利」かどうかも変わってき得るということも考えないとだめですよ。

http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20081124#c1228009819

と頓珍漢な回答で済ませている。根から卑怯な性格通りに自分の都合の悪いことには相変わらず答えない。id:flurry氏が「無知のヴェール」の使い方について尋ねているのにそこは無視している。そもそも「無知のヴェール」でトリアージが導き出されるというのは本当だろうか。調べてみると

この書でロールズは、それまで倫理学を主に支配してきた功利主義に代わる理論として、民主主義を支える倫理的価値判断の源泉としての正義を中心に据えた理論を展開することを目指している。彼は正義を「相互利益を求める共同の冒険的企て」である社会の「諸制度がまずもって発揮すべき効能」だと定義した。そして社会活動によって生じる利益は分配される必要があるが、その際もっとも妥当で適切な分配の仕方を導く社会的取り決めが社会正義の諸原理になるとした。

ここで彼は社会契約説を範にとってこの正義の原理を導出していく。まず正義の根拠を、自由かつ合理的な人々が、彼が「原初状態」と名付けた状態におかれる際に合意するであろう諸原理に求めた。この原初状態とは、集団の中の構成員が彼の言う「無知のヴェール」に覆われた−すなわち自分と他者の能力や立場に関する知識は全く持っていない−状態である。このような状態で人は、他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく合理的に選択するであろうと推測され、また誰しも同じ判断を下すことが期待される。そして人は、最悪の状態に陥ることを最大限回避しようとするはずであり、その結果次の二つの正義に関する原理が導き出されるとした。

第一原理
各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。
第二原理
社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。

1. それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)
2. 公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。(機会均等原理)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA

とあるようにそもそも「無知のヴェール」は社会契約説のなかで正義とは何かということを考える中で持ち出された原理であり、これをそのまま緊急事態でのトリアージというものに当てはめるにはかなりの説明が必要になるだろう。それを「簡単ですよ。」とで済ませるSokalianはもしかすると「the weil of ignorance」を「the weil of blind」と勘違いしているのかも知れない。