元増田id:Sokalianとの対話

期間終了――コメント欄延長 - 吾輩は馬鹿である

保守系左派 2008/08/23 11:49
今般は期間限定ではありましたが、大変ご苦労様でした。今回、ご意見を賜りたく書き込みさせていただきました。
「行政(政策)評価」の手法として「トリアージ」を地方自治体に導入推進している「行政改革派」「地方分権派」「ムダをなくせば良くなる派」「市民フォーラム」等の活動については、今般の問題からすると批判の対象となるのでしょうか?

Sokalian 2008/08/23 11:58
ご丁寧にどうもありがとうございます。
何度か書いていますように、「トリアージ」は救急救命の方法論なので、それを行政評価の手法として導入する、という表現自体が意味を持たないと思います。

保守系左派 2008/08/24 09:05
ご回答ありがとうございます。
今回の騒動が起きましたときから、田中前長野県知事による「トリアージ予算」なる記者会見や議会議事録が頭にありましたので、「導入する」ではなく「すでに一般論として実施している」のほうが良かったかな?
トリアージ」を「なんとなくクリスタル」的に使用させた、田中前長野県知事の背後にいた左翼リベラル系に対する批判はどこからも出てこないなあと感じていたものですから。

Sokalian 2008/08/24 09:53
つまり、「トリアージ」を救急救命の方法論としてではなく、そのアナロジーを無批判に他分野に適用しようとした実例があったということですね?
だとすれば、それこそ粗雑なやりかたですね。トリアージが成立する前提に無自覚だということですから。

田中知事がそういうことをしていたというのは存じませんでしたが。

snobbishinsomniac 2008/08/30 22:42
初めまして。8/24にSokalianさんが自身で書かれたコメント
>つまり、「トリアージ」を救急救命の方法論としてではなく、そのアナロジーを無批判に他分野に適用しようとした実例があったということですね?
>だとすれば、それこそ粗雑なやりかたですね。トリアージが成立する前提に無自覚だということですから。
において「他分野」に「fuku33氏が講義したかった経営学」は含まれるのですか。

Sokalian 2008/08/30 23:35
> 「他分野」に「fuku33氏が講義したかった経営学」は含まれるのですか。

ご質問の意味がよくわかりませんが、
トリアージのアナロジーを無批判に福耳氏の講義内容に適用することは粗雑か?
・福耳氏は講義内容にトリアージのアナロジーを無批判に持ち込んだか?そしてそれは粗雑か?
の2つのどちらかだと思うので、両方お答えします。

前者については、当然粗雑です。一般的に「アナロジーを無批判に他分野に適用することは粗雑」と言っているので、それは当然福耳氏の講義内容も例外ではありません。

後者については、「例示」を「アナロジー」と見るかどうかです。福耳氏の例示は「理論の適用例」であって、これは類推などというものではなく厳密に当てはまるものですから、「アナロジー」と呼ぶべきではないでしょう。また、「無批判」でもないので、ますます批判の対象外になります。

snobbishinsomniac 2008/08/31 00:13
なぜ前者のような解釈ができるのか理解できません。後者も少し違います。「無批判に他分野に適用しようとした」の「他分野」に「経営学」は当然含まれますよねという念押しです。それが粗雑かどうかは訊いていません。「他分野に適用しようとした」ことが「粗雑なやりかた」だとしているのはSokalianさん自身なんですから。Sokalianさんの理解では「(トリアージの)理論の(経営学への)適用例」なのですね。それがまさにhokusyuさんをはじめ皆さんが批判していることなんですけど。「「無批判」でもない」は私は間違いだと私は思いますが、「「無批判」でもない」という説明に何か根拠はありますか。

Sokalian 2008/08/31 00:20
> 「無批判に他分野に適用しようとした」の「他分野」に「経営学」は当然含まれますよねという念押しです。
 
だとしたら、「保守系左派」氏の挙げた例については私は何も知らないので、含まれるのかどうかは「保守系左派」氏にお聞きになって下さい。
 
> Sokalianさんの理解では「(トリアージの)理論の(経営学への)適用例」なのですね。
 
逆です。全く逆です。どうすればそのような理解が出てくるのか、はなはだ理解に苦しみます。
福耳氏の講義において、「トリアージ」は「経営学の一部の思考法の適用例」なのです。「トリアージ経営学に適用する」というのはそもそも文章として意味が通りません。

snobbishinsomniac 2008/08/31 00:32
まず
>「「無批判」でもない」という説明に何か根拠はありますか。
という問いに答えてください。
>「保守系左派」氏にお聞きになって下さい。
違います。逃げないでください。Sokalianさんは
>つまり、「トリアージ」を救急救命の方法論としてではなく、そのアナロジーを無批判に他分野に適用しようとした実例があったということですね?
と書いています。
>つまり、「トリアージ」を救急救命の方法論としてではなく、そのアナロジーを無批判に「行政(政策)評価」に適用しようとした実例があったということですね?
とは書かなかったのです。「他分野」という一般化した話を持ち出したのはご自身です。

>「トリアージ」は「経営学の一部の思考法の適用例」なのです。
だとしたらもっと悪いです。
>それこそ粗雑なやりかたですね。トリアージが成立する前提に無自覚だということですから。

Sokalian 2008/08/31 00:39
>「「無批判」でもない」という説明に何か根拠はありますか。
 
既に書きました。「これは類推などというものではなく厳密に当てはまるものですから」。
 
> 「他分野」という一般化した話を持ち出したのはご自身です。
 
ですから、それは「保守系左派」氏の書かれたことを言い換えただけであって、「保守系左派」氏が知っていた事実を私が知っているというわけではないんですから。それがどんなものであったかを知らない以上、それ以上答えようがありますか。「なにやら得体の知れないものに経営学は含まれますか」と問われても「知りません」としか答えようがないでしょう。現実に知らないんだから。
 
> だとしたらもっと悪いです。
 
なぜ悪いのでしょうか。

snobbishinsomniac 2008/08/31 01:02
> 既に書きました。
fuku33氏のエントリのどこに書いてありますか。もともとの問題はfuku33氏のエントリなんですから。

>なぜ悪いのでしょうか。
ご自身が書いていらっしゃるじゃありませんか。「粗雑」だと。
>それこそ粗雑なやりかたですね。トリアージが成立する前提に無自覚だということですから。
さらに
>「トリアージ」を救急救命の方法論としてではなく
というコメントからご自身が「トリアージ」を「救急救命の方法論」だと認識していらっしゃることは容易に類推できます。それこそ「トリアージ」と「経営学」は「接点がない」のです。

Sokalian 2008/08/31 01:16
申し訳ないですが、もう少し学問というものについて学ばれた方がいいと思います。いや、新たに勉強する必要すらない。高校の教科書を思い出していただければ十分。
仕方ないので、今回だけは丁寧に説明して差し上げます。

 
> fuku33氏のエントリのどこに書いてありますか。もともとの問題はfuku33氏のエントリなんですから。
 
まず、福耳氏は経営学における一つの思考法(最適配分)について講義していた。そして、「最適配分」の考え方の適用例として「トリアージ」を出した。これが前提。よろしいですね?
で、「適用例」ということは、その話の枠組みの中で説明をされているわけです。
何のことかわからないとおっしゃるなら、たとえば数学の公式を思い出していただきたい。「長方形の面積は、長辺×短辺で求められる」という一般論を説明した後で、「長辺の長さが2、短辺の長さが1の長方形の面積は2である」といっても、何の問題もない。「公式の成立条件を確かめずに公式を適用した」ことにはならない。なぜなら、長方形全てについて公式が適用できることは既に一般論の段階で確認されているからです。
同様に、「最適配分」の考え方が一般論として説明され、「トリアージ」がその適用例として説明されるということは、「最適配分という一般論から、トリアージという例が導かれる」ということなのです。即ち、「最適配分」と「トリアージ」の密接な関係がきちんと示されている。これのどこが「無批判」でないことになるのですか?
 
>>「トリアージ」を救急救命の方法論としてではなく
> というコメントからご自身が「トリアージ」を「救急救命の方法論」だと認識していらっしゃることは容易に類推できます。それこそ「トリアージ」と「経営学」は「接点がない」のです。
 
これをお読み下さい、としか言いようがありません。

経営学(けいえいがく;business administration, business management)とは、広義には組織体の運営について研究する学問分野である。対象は企業組織とする場合が多いが、企業組織に限定せずあらゆる組織体(自治体・NPO法人など)が経営学の対象となりうる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6

救急救命の組織に経営学が適用できる、というだけの話がどうして理解できないのか、そのことの方が私には不思議でなりません。

Sokalian 2008/08/31 01:20
訂正。
> これのどこが「無批判」でないことになるのですか?
 
言うまでもなく、「でない」ではなく「である」ですね。
 
それにしても、こんなことを書かなければならないということは、あなたは私の書いていることを全く理解できていないということです。おそらく、用語の段階で理解できていなかったはずです。
 
とりあえず、福耳氏が説明したかった「最適」とは何のことであるか、ここを読んで理解してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E9%81%A9%E5%8C%96%E5%95%8F%E9%A1%8C

snobbishinsomniac 2008/08/31 01:58
丁寧な説明をありがとうございます。みなさんとSokalianの齟齬の原因の一つが分かったような気がします。
まず「救急救命の組織」という認識が共有されていません。救命救急(←こちらの方が私には自然なので)の組織、すなわち病院の日常的な経営にはもちろん経営学は適用できるでしょう。でも誰もそんなことは論じていません。
トリアージ」はいろいろあるでしょうが、まず災害現場や戦場で医師以外の医療従事者が対象者=患者を選別するということがあります。もちろん機械による検査などしません。しかも人数が多ければ数十秒単位で判断をしなければならないような場面になるでしょう。状況によっては手が足りなくてSokalianさん自身が誰を最初に手当てをするか決めることもあり得ない話ではありません。そのときSokalianさんはどうしますか。何もせずにさらに医師や看護婦が来るのを待ちますか?待っている間にどんどん人が死んでいくのを黙って見ていますか。そういう状況なんです。「トリアージ」の現場には「最適配分」はありません。だって最適化する余裕なんてないし、さらにいえば検証不可能ですから。もちろん後から検証することのできる部分もあるでしょう。でもあくまで「事後」です。「学問」というなら検証可能でないと意味がありません。もちろん「できるだけ多くの命を助けたい」という目的はあります。そのためにガイドラインも作られました。でも実際にある現場でガイドライン通りに措置が行われるかどうかは分からないし、実際に行われた措置が「最適」かどうかなんて誰にも分かりません。「トリアージ」はその現場での措置が最適だったどうかの検証結果から関係者を免責するための考え方です。重傷者を見殺しにしたことから免責されるのです。そこが「トリアージ」の重要な点です。こういう風に書きましたが、すべて受け売りです。いままでhokusyuさんやApemanさんらが何度も説明しています。それでも経営学に「トリアージ」の考え方が入るとお考えですか。
 
経営学
>対象は企業組織とする場合が多いが、企業組織に限定せずあらゆる組織体(自治体・NPO法人など)が経営学の対象となりうる。
というのであればナチスによるドイツ第三帝国の国家事業としてのホロコースト経営学の対象にしても問題ありませんね。

Sokalian 2008/08/31 02:29
この話は既に何度も出たのですが。
 
> 「トリアージ」の現場には「最適配分」はありません。だって最適化する余裕なんてないし、さらにいえば検証不可能ですから。
 
だからこそ、状況をモデル化してあらかじめ分析しておき、対応策を定めておくわけです。念のため、「最適配分」とは、判断時間を考慮した上での「最適」です。福耳氏が「最適である」としていたのも、あくまでモデル上での「最適性」に過ぎません。個別の例に関する「最適性」は、検証不可能とは言わぬまでもかなり困難でしょうから。
 
> それでも経営学に「トリアージ」の考え方が入るとお考えですか。
 
上に述べたように、モデルと現実のギャップということは、暗黙の前提として織り込み済みです。
物理学を例に取るとわかりやすいでしょうが、物理学は自然界の数学的モデル化です。そして、そのモデル内での理論で正しいと証明されたことが現実にも正しいかどうかは、実験や観測から帰納的に確かめるしかありません。そして、実験や観測が理論と乖離していれば、理論の側を修正するのです。
これと同じように、トリアージ経営学の中で扱う際は、当然いくつかの前提を置きます。この前提は経営学の枠組みから導き出されるものではありません。そして、現実に問題が起これば、その前提自体を改めて問い直すということになるのです。
 
> ナチスによるドイツ第三帝国の国家事業としてのホロコースト経営学の対象にしても問題ありませんね。
 
もちろんです。歴史学倫理学ホロコーストが扱えるのと同様です。

snobbishinsomniac 2008/08/31 02:56
>状況をモデル化してあらかじめ分析しておき、対応策を定めておくわけです。
そもそもモデル化など不可能だと私は思っています。なぜなら地震や台風などの災害ももちろん、航空機や船舶の事故だって予想不可能です。さらに人間は極限状態でどういうように行動するか予想不可能です。モデル化可能なんていうのは私からいわせれば極限の性善説であり合理主義ですね。
ただ、もし可能と仮定して分析した結果で医療資源がとても足りなくて今の5倍か10倍は必要だといことがわかったらどうするんですか。もしかすると経営学では現状の医療資源は不足で必要量はこれだということがわかるかもしれません。しかしその先どうするべきかは経営学の問題ではありません。
fuku33氏のエントリでは「絶対的に医療資源が不足しているところでは」という条件を付けているんです。しかも彼は資源を増やすという選択肢を意識的に落としています。「トリアージ」という人間の生死が関わる極限状況を持ち出したことが批判されているんです。
さらにその経営学の文脈でhokusyuさんが「ホロコースト」を持ち出したことでHALTANから根拠の無い中傷を受けているんです。その文脈を無視して何を言ってもhokusyuさんたちと議論にならないのは当たり前です。
 
>物理学は自然界の数学的モデル化
でも人の生死を数十秒で判断する状況は絶対に現れません。経営学にも現れません。そこの認識が違うのです。

snobbishinsomniac 2008/08/31 03:00
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080828/1219913292
はお読みになりましたか?

snobbishinsomniac 2008/08/31 03:13
もう一つ
>そして、現実に問題が起これば、その前提自体を改めて問い直すということになるのです。
災害現場でこの人は他の人より優先して治療を受ければ生き残ったかもなんて話をするんですか。人の生死の分けた瞬間を学問として検証するんですね。そういう話しかできませんよね。仮定とは言え医療資源は有限だとfuku33氏が言っているんです。医師や看護師を増やすという考えは持っていないのです。それが経営学ですか。

snobbishinsomniac 2008/08/31 10:18
私も科学者の端くれです。私にとっての学問というのは科学です。それは「検証可能」でありかつ「再現可能」でなければなりません。だから「トリアージ」現場での行為を学問の俎上に上げるのはものすごく抵抗があります。上のコメントの延長となりますが、仮に「トリアージ」をで行われた行為を検証することを考えます。
たとえば二人の重傷者(Aさん、Bさん)が板とします。現場ではAさん→Bさんの順で治療が行われてAさんが助かりBさんが亡くなったとします。もし検証によりBさん→Aさんの順で治療すれば二人とも助かった可能性が高いということが分かったとして、なるほど学問的には何か得られるものはあるのかもしれません。Sokalianはそこで「モデル」とやらを修正することが重要だとおっしゃっているんです。でもBさんは亡くなってしまっているのです。Bさんとその家族にとってはBさんが助かることが重要なんです。「Bさん、ごめんよ。モデル化が間違っていて助けられなかったけど今度は大丈夫だから」なんて言えますか。
fuku33氏は「この人たちの目に映るのは「目の前の最善」だけで、「全体や組織から見た最適」というのはコンセプト自体が頭の中にないのだ。でもそれでは、助かる人も助からないんだよ、ということをあれだけ懇切に説明してまだこれか!」といい、「トリアージ」の現場で「全体や組織から見た最適」なんてものを求めるのです。目の前のいる重症の家族より他の軽症者を優先しろと言っているんです。

Sokalian 2008/08/31 10:27
> モデル化可能なんていうのは私からいわせれば極限の性善説であり合理主義ですね。

モデルの妥当性はともかく、モデル化は可能ですよ。そして、やってみもせずに情緒的な理屈で「モデル化が不可能」などと言い切ってしまうのは典型的かつ素朴な反科学としか言いようがありません。
実際、トリアージはそういう想定に基づいて導出されたもので、これの妥当性は承認されているのでしょう?


> しかも彼は資源を増やすという選択肢を意識的に落としています。

それこそ、緊急事態に資源を増やす余裕なんてありますか?非現実的な仮定です。

> 「トリアージ」という人間の生死が関わる極限状況を持ち出したことが批判されているんです。

情緒的に過ぎます。極限状況を持ち出していけないなら医学なんてほとんど不可能です。
> さらにその経営学の文脈でhokusyuさんが「ホロコースト」を持ち出したことでHALTANから根拠の無い中傷を受けているんです。

どう見ても、先に中傷したのはhokusyu氏です。それに、「ホロコースト」なんてのを持ち出せば相手の感情を逆撫でするのは当たり前で、その持ち出し方にも無理があった(それはこのブログで再三述べたとおり)。

> でも人の生死を数十秒で判断する状況は絶対に現れません。経営学にも現れません。そこの認識が違うのです。

あなたの認識が間違っているだけのことです。実際、トリアージは最適配分の考え方で扱えるのですから。

> http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080828/1219913292
> はお読みになりましたか?

読みました。わかってないんだろうなと思いました。

> Bさんとその家族にとってはBさんが助かることが重要なんです。「Bさん、ごめんよ。モデル化が間違っていて助けられなかったけど今度は大丈夫だから」なんて言えますか。
言えませんよ。その悔しさをバネにしてモデルを修正していくのです。少なくとも医学や土木工学ではそういうことが日常的に行われています。

> 「トリアージ」の現場で「全体や組織から見た最適」なんてものを求めるのです。目の前のいる重症の家族より他の軽症者を優先しろと言っているんです。

当たり前でしょう。福耳氏の想定は、「救急活動を指揮する立場にある者が以下に行動すべきか」なのですから。そんな責任ある立場にある人間が公私混同することが許されますか。

snobbishinsomniac 2008/08/31 11:42
他の方も何度も書いていますが、前提としてfuku33氏は経営学者であり経営学の話をしていたんであって救命救急の話をしていたんじゃないのです。あくまで経営学の講義です。Sokalianさんが「学問」というからには話の前提を変えないでください。あくまで経営学での話なのです。
経営学で労働者を解雇するときに対象者をどう選別するかという話ならわかります。制度上は解雇されても命が取られるわけではありません。その選別も数十秒で行われるわけじゃありません。
>情緒的に過ぎます。極限状況を持ち出していけないなら医学なんてほとんど不可能です。
医学の話ではなく経営学なんです。人の生死の選別を経営学で持ち出したんです。
>モデルの妥当性はともかく、モデル化は可能ですよ。
可能か不可能かといえば可能ですね。でも妥当性の検証は可能でしょうか。ご自身で
>個別の例に関する「最適性」は、検証不可能とは言わぬまでもかなり困難でしょうから。
と書かれています。物理学に例えれば実験や観測はできないのです。
>実際、トリアージはそういう想定に基づいて導出されたもので、これの妥当性は承認されているのでしょう?
非常に重要な問題です。どういう文脈での妥当性でしょう。「トリアージ」というのは人の選別です。fuku33氏は経営学的な視点で選別が可能であり、かつ経営学的な視点で選別をすべきだといわんばかりの話をしました。でも誰が妥当性を承認しているんでしょう。あるいは何が妥当性を担保しているんでしょう。例を挙げれば重症者を見殺しにしていいと誰が許しているのですか。敢えて言えば「できるだけ多くの人命を救いたい」という目的があって重傷者には「諦めてくれ」と宣告するのです。誰がそんなことをしたがりますか。だからガイドラインをつくって判断者や医師が自分が決めたんじゃないと逃げられるようにしているのです。ガイドラインにはある程度医学的な裏付けはありますが、実行される際の無謬性は保証されていません。
Sokalianさんは自分が重症であったときに「経営学的に考えた結果、君の治療はしない。諦めてくれ。」すなわち「経営学的に考えて、君はここで助かっても世の中の役に立たないから死んでくれ。」と言われても冷静に「分かりました。他の有能な方が助かるなら。」と言えるんですね。

>それに、「ホロコースト」なんてのを持ち出せば
ご自身で書かれたことをもうお忘れですか。
>> ナチスによるドイツ第三帝国の国家事業としてのホロコースト経営学の対象にしても問題ありませんね。
>もちろんです。歴史学倫理学ホロコーストが扱えるのと同様です。

snobbishinsomniac 2008/08/31 13:20
ちょっと書き足りなかったところがありました。
>「できるだけ多くの人命を救いたい」という目的
は「なんとか学」から出てくるものではありません。人道的あるいは倫理的な要請とでもいいましょうか、現在の人たちが共有する価値観が現れています。すなわちある種の政治的判断です。映画「タイタニック」では沈没間際に女性や子供を優先してボートに乗せていました。その優先度のつけ方は「学問」で決まっていたんでしょうか。

snobbishinsomniac 2008/08/31 14:56
もう一つ齟齬の原因に気がつきました。
Sokalianさんはトリアージが必要になるような大規模な災害や事故が起きた時への備えを行うことと、実際にトリアージを行う現場での判断を混同して議論しています。災害が起こったときに救助隊として医師や看護師が派遣される体制はいくつかのモデルに対してもちろん準備されているでしょう。そこで過去の災害の状況を参考にモデル化をするのは当たり前です。そこに経営学が応用されるどうかは分かりませんが、あらゆる学問的判断が取り込まれるでしょう。ただ医療従事者の人数は限られていますし日常の医療活動との兼ね合いがあるので、災害救助での「最適解」と日常医療での「最適解」は全く別物であり対立する面もあります。そこをどう調整するかは経営というより政治判断です。でもそこも今回の議論の対象ではありません。

Sokalian 2008/08/31 22:11
> あくまで経営学の講義です。Sokalianさんが「学問」というからには話の前提を変えないでください。あくまで経営学での話なのです。

既に指摘したように、あなたが「経営学」を過剰に狭く捉えすぎているだけです。また、「最適化」という手法は経営学のみならず、経済学や工学などで広く用いられる応用数学の典型的な手法であって、その例にトリアージが出てくることは何の不思議もありません。
元々、このような応用数学の分野は伝統的にoperations research「作戦研究」と呼ばれており、ご想像の通り戦時の作戦立案にルーツがあります。むしろ、人命を左右する緊急事態が扱えない方がおかしいのです。
 
> 物理学に例えれば実験や観測はできないのです。
 
違います。個別の例の細部の再観測をできないのは物理学でも同じ。たとえば特定の星の超新星爆発を何度も観測できるわけがありません。
 
> だからガイドラインをつくって判断者や医師が自分が決めたんじゃないと逃げられるようにしているのです。
 
法的責任はそうかもしれません。だとしても、倫理的な責任は?ガイドラインを決めた人に倫理的責任はないのですか?仮にそうだとしたらヒットラーにはホロコーストの責任はないんじゃないですか?
 
> 「経営学的に考えて、君はここで助かっても世の中の役に立たないから死んでくれ。」と言われても冷静に「分かりました。他の有能な方が助かるなら。」と言えるんですね。
まず、「経営学的に」という言葉をあなたが勝手に偏狭に解釈しているというのが一点。それと、こういう話を持ち出すとき、当事者の感情論に訴えかけるのはよろしくありません。なぜなら、「一人助けると一人他の人が死ぬ」というような緊急事態だからです。
このようなとき、倫理学でよく知られた手法として「無知のヴェール」というものがあります。あなたが実際に(災害時)どのような立場に立たされるかを知らないものとして、それでも納得のいくルールを考えよ、それが妥当なルールの一つの目安である、というものです。この線に沿って考えると、結局「トリアージ」を選ばざるを得ないことは明らかです。なぜなら、それが一番助かる確率が高くなるのですから。
 
>ご自身で書かれたことをもうお忘れですか。
>>> ナチスによるドイツ第三帝国の国家事業としてのホロコースト経営学の対象にしても問題ありませんね。
>>もちろんです。歴史学倫理学ホロコーストが扱えるのと同様です。
 
覚えていますが、それがどうかしましたか。何もおかしなことは言っていません。
 
> ただ医療従事者の人数は限られていますし日常の医療活動との兼ね合いがあるので、災害救助での「最適解」と日常医療での「最適解」は全く別物であり対立する面もあります。そこをどう調整するかは経営というより政治判断です。
 
それが別物であることは当たり前です。しかし、どう調整するか、どう「政治判断」するか、そこを扱うのが「経営学」ではないですか。
あなたは何か勘違いをされているようですが、「経営学の手法によって導き出された結論は常に正しい」なんてことは誰も思っていないでしょう。「常に正しい結論を導き出せる手法」は皆の夢でしょうが、現状では夢のまた夢です。現状存在するのは、「正しいかもしれないし間違っているかもしれない結論」を出すための一つの手法に過ぎません。現存する手法がそのようなものであることを理解してその範囲内で使う限り、そこに「トリアージ」のような状況を当てはめても何の問題もないのです。
 
最後に、一番大事な点。
 
>>「できるだけ多くの人命を救いたい」という目的
> は「なんとか学」から出てくるものではありません。人道的あるいは倫理的な要請とでもいいましょうか、現在の人たちが共有する価値観が現れています。すなわちある種の政治的判断です。

その通りです。従って、経営学でどのような問題を扱おうと、それが思考実験の範囲にとどまる限りは、何の問題もない。まして、出てきた結論が「人道的あるいは倫理的な要請」に沿うものであれば、それを実行しても当然問題はないのです。即ち、福耳氏の講義には何の問題もないわけです。

snobbishinsomniac 2008/08/31 23:20
>「最適化」という手法は経営学のみならず、
それくらいは分かっています。それでその手法を使うと、例えば明日どこかで大震災が起こったとして生存者を最大にするために現地の医療従事者の状況確認をしつつこちらから医療従事者をどこに何人と決めて実際に必要な物資とともに送り出してある程度の治療もしているという状況を災害時生存率の閾値である72時間以内に整えられるのですか。治療に掛かれるかどうかは厳しいでしょうけど、誰を助けるかはをきめるくらいは迅速にできないと「最適化」の意味はありませんよ。モタモタしていたら助かる人もどんどん死んでいくんですから。「最適化」しているならばもちろん落ち着いた後には検証を行って今回の処置は最適化率がxx%なんて数字が出ますね。すごいですね。
 
>ガイドラインを決めた人に倫理的責任はないのですか?
何を間抜けなことを言っているんですか。今は医療関係者の議論が主ですが、される側だって納得していないとトリアージは成り立たないんですよ。何が一番ベターかをみんなで考えて決めるんです。
 
>ヒットラーにはホロコーストの責任
ホロコーストの責任」というと諸説ありますけど、経営学的にはヒトラーには国家の経営者としての責任はありますよ。国家が無くなりましたから。それ以外のことはここで論じる問題じゃないでしょう。
 
>当事者の感情論に訴えかけるのはよろしくありません。
いえ感情論ではありません。ご自身が論じておられることが自分の身に降りかかった場合を考えないというのは卑怯ではないですか。議論の問題としてお考えください。あなたは経営学トリアージの考えを扱うことができると主張していないのですか。「経営学的」という言葉が悪ければあなたの考えている「経営学で扱ったトリアージ」の結果としてあなたが見捨てられても構わないと言えますよね。
ご存知でしょうけどトリアージというのは医師以外の者が患者の重篤度をいくつかの点で判定して選別します。医師でないから正確な病状は分かりませんし、もしかすると間違っているかもしれません。だけどそれでも選別するんです。助かりそうな人から治療しないと助かる人も助からないのです。もちろん重篤度によっては放置される、すなわち見殺しにされます。上の問いの答えは抜きにしても、あなた自身が事故や災害にあってそこで見殺しにされる可能性はあるんです。もしかすると間違った判断で。そこで「おい、最適化してくれよ」なんて異義は通りません。

>覚えていますが、それがどうかしましたか。何もおかしなことは言っていません。
おかしくないですか。何度も書いていますがもともと経営学の議論なのです。そこでhokusyuさんがホロコーストを持ち出したのは経営学の議論の中で、ホロコースト経営学的解釈を出しただけです。だから何も問題ありません。

>「経営学の手法によって導き出された結論は常に正しい」なんてことは誰も思っていないでしょう。
さんざんSokalianさんが物理と数学の比喩を出されて滔々と学問について講釈をされたあとでは、その「正しいとは限らない」というのが相対論的力学とニュートン力学の違いくらいのものであれば私は受け入れますよ。もしそうでないのなら「学問」としての存在を疑います。

Sokalian 2008/08/31 23:41
>>「最適化」という手法は経営学のみならず、
> それくらいは分かっています。それでその手法を使うと、例えば明日どこかで大震災が起こったとして生存者を最大にするために現地の医療従事者の状況確認をしつつこちらから医療従事者をどこに何人と決めて実際に必要な物資とともに送り出してある程度の治療もしているという状況を災害時生存率の閾値である72時間以内に整えられるのですか。
 
いや、そういう反論が出てくること自体わかってない証拠です。先に挙げた Wikipedia の記事をごらん頂ければわかる通り、「最適化」とは「理想を実現できる方法を探す」ということではなく、「制約の中で最もマシなやり方を探す」ものです。
 
> 「最適化」しているならばもちろん落ち着いた後には検証を行って今回の処置は最適化率がxx%なんて数字が出ますね。
 
どこからそんなお考えが出てきたのか理解に苦しみます。
 
> 何を間抜けなことを言っているんですか。今は医療関係者の議論が主ですが、される側だって納得していないとトリアージは成り立たないんですよ。何が一番ベターかをみんなで考えて決めるんです。
 
考えた結果がトリアージでしょう?おっしゃることがさっぱりわかりません。
 
> ご自身が論じておられることが自分の身に降りかかった場合を考えないというのは卑怯ではないですか。

卑怯も何も、「理屈では納得せざるを得ないけれど感情的には納得できない」というのはいくらでもあることです。早い話、私は、自分の寿命が有限なことに納得できませんよ。
> そこで見殺しにされる可能性はあるんです。もしかすると間違った判断で。
 
仕方ないですね。他にマシなやり方がないんですから。あるなら、こんなところでつまらない議論をしていないで、然るべきところに掛け合って、大々的に発表してみてください。世界中から感謝されますよ。冗談抜きで。
 
> そこでhokusyuさんがホロコーストを持ち出したのは経営学の議論の中で、ホロコースト経営学的解釈を出しただけです。だから何も問題ありません。
 
だとすれば、それは福耳氏批判になるはずがありませんね。有機化学の議論の中で、ニトログリセリンの化学的性質を論じたところで問題がない、というのと同じ話ですから。
 
>>「経営学の手法によって導き出された結論は常に正しい」なんてことは誰も思っていないでしょう。
> さんざんSokalianさんが物理と数学の比喩を出されて滔々と学問について講釈をされたあとでは、その「正しいとは限らない」というのが相対論的力学とニュートン力学の違いくらいのものであれば私は受け入れますよ。もしそうでないのなら「学問」としての存在を疑います。
 
実学というものを知ってください。あなたが知っているよりも学問の世界はずっと広い。
どうして経営学の手法によって常に「正しい」判断ができないかというと、つまるところ人間が「正しい」判断とは何か、という完全な知識を持っていないからですよ。
そんな中で、「近似的にでも正しい結論が出せる学問でなければ受け入れられない」とあなたがいくら頑張ってみたところで、それは単なる「無い物ねだり」でしかありませんし、そんな議論はそれこそ「ナイーブ」だと笑いものになるだけです。
学問が、未完成であるというだけで存在を疑われてしまうのであれば、現在の世の中に学問などというのはどこにも存在しません。

Sokalian 2008/08/31 23:43
いずれにしても、あなたの学問観はお粗末の一言に尽きます。科学者であるというのは冗談であると信じたい。素人以上に素朴かつ偏狭な理想を、学問というものに対して押しつけすぎです。冗談抜きで、反省していただきたい。

>あなたの学問観はお粗末の一言に尽きます。
どうぞ何とでも言ってください。今まで物理と数学のロジックを散々出してきて、いや実学だからというのは逃げですね。もう一つ、あなたは個別要素についてhokusyuさんと全く同じことを書いていらっしゃる。なぜか結論が異なっています。hokusyuさんを批判するのは自分への批判になります。
 
>考えた結果がトリアージでしょう?おっしゃることがさっぱりわかりません。
ではあなたは何を議論してきたのですか。私もあなたの主張がわかりません。
 
>どうして経営学の手法によって常に「正しい」判断ができないかというと、
要するに経営学では価値判断はできないということです。
 
>だとすれば、それは福耳氏批判になるはずがありませんね。有機化学の議論の中で、ニトログリセリンの化学的性質を論じたところで問題がない、というのと同じ話ですから。
有機化学の比喩は全く理解できません。何のことですか。
もしかしてSokalianさんは福耳先生は講義の中で災害医療の中で経営学的な解としてトリアージが存在するという話をしたと思っていらっしゃるのでしょうか。全く違います。
講義の中でトリアージについて
>「理屈では納得せざるを得ないけれど感情的には納得できない」
という表明をした女子学生を「女だからそんな反応をするんだ」とこき下ろしました。しかも批判が始まるとエントリを修正し隠そうとした。それが一つの問題です。
他の問題はhttp://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080828/1219913292が理解できないならもうお互い議論自体できないでしょう。

snobbishinsomniac 2008/09/01 00:22
しかしトリアージについて偉そうなことを書くわりにガイドラインについて
>法的責任はそうかもしれません。だとしても、倫理的な責任は?ガイドラインを決めた人に倫理的責任はないのですか?仮にそうだとしたらヒットラーにはホロコーストの責任はないんじゃないですか?
っていう間抜けな質問を本気で言ってますか?
Sokalianというのは個人なんでしょうか。複数の人間が書いているということはないでしょうか。

Sokalian 2008/09/01 00:37
> 今まで物理と数学のロジックを散々出してきて、いや実学だからというのは逃げですね。

実学とそうでないものには共通点と相違点があって、私はその共通点にだけ言及しただけです。

> もう一つ、あなたは個別要素についてhokusyuさんと全く同じことを書いていらっしゃる。なぜか結論が異なっています。hokusyuさんを批判するのは自分への批判になります。

違います。私から見れば、hokusyu氏の議論は論理的に破綻しているのです。そしてそのことを説明しようとしているのがこのブログの一つの大きな目的です。そんなことは読めばわかるでしょうに。

> 私もあなたの主張がわかりません。

質問したのはあなたなので、何が聞きたいかを整理してもう一度聞いてください。

> 要するに経営学では価値判断はできないということです。

当たり前です。むしろ、あなた方はそれを理解していないからこそ、経営学トリアージを扱うことに目くじらを立てているのです。

> 有機化学の比喩は全く理解できません。何のことですか。

有機化学経営学に、ニトログリセリンホロコーストに対応します。つまり、一般的な枠組みの中で危険なものが扱えるからといって、枠組み自体が危険性をはらんでいる訳ではない。有機化学ニトログリセリンを扱って、ニトログリセリンの危険性が学べるように、経営学からホロコーストが導出される例を見て、経営学の理論を適用する上で注意しなければならないこと(即ち、議論の前提とする価値判断に細心の注意が必要であること)を学べるのです。

> もしかしてSokalianさんは福耳先生は講義の中で災害医療の中で経営学的な解としてトリアージが存在するという話をしたと思っていらっしゃるのでしょうか。全く違います。
そう思っているし、「違う」としてあなたが挙げた、福耳氏の発言の政治的妥当性はそれを否定する理由になどなりはしませんね。

> 間抜けな質問を本気で言ってますか?

間抜けかどうかはともかく、本気です。ただし、「質問」というよりは「反問」「反語」と言った方が私の意図をより正確に表現していますね。

> Sokalianというのは個人なんでしょうか。複数の人間が書いているということはないでしょうか。

個人です。ただし、仮に複数であったとしても、問題はSokalianの名においてなされた主張が正しいかどうかであるので、そんなことはどうでもいいでしょう?どうしてあなた(にかぎらず、福耳氏批判派)は、そういうどうでもいい個人の属性にこだわるのですか?有り体に言って、下種の勘繰りもよいところです。

snobbishinsomniac 2008/09/01 00:45
>そう思っているし、「違う」としてあなたが挙げた
私以外にも「違う」という方々はたくさんいますが、皆さん全員が間違っているということですね。

>経営学の理論を適用する上で注意しなければならないこと(即ち、議論の前提とする価値判断に細心の注意が必要であること)を学べるのです。
これはhokusyuさんの主張そのものですね。

>「反問」「反語」と言った方が
後出しじゃんけんはみっともないですね。

>仮に複数であったとしても、
いえ、個人でも複数でも議論に一貫性がないとこちらは困るんです。

>どうでもいい個人の属性にこだわるのですか?
一番拘っているのがHALTAN氏ですね。それを批判しているのがhokusyuさんやApemanさんたちですね。

snobbishinsomniac 2008/09/01 00:55
では元に戻ります。コメント「Sokalian 2008/08/24 09:53」における
>だとすれば、それこそ粗雑なやりかたですね。トリアージが成立する前提に無自覚だということですから。
でいう「トリアージが成立する前提」を具体的に説明してください。

Sokalian 2008/09/01 01:05
> 私以外にも「違う」という方々はたくさんいますが、皆さん全員が間違っているということですね。

当然です。でなければ批判なんてしない。

> これはhokusyuさんの主張そのものですね。

仮にhokusyu氏がそう主張したいのであれば、hokusyu氏は福耳氏を批判する必要なんてどこにもありません。むしろ、あまりにも自明な釈迦に説法を言っただけのことになります。

> 「トリアージが成立する前提」を具体的に説明してください。

私に聞かず、Wikipediaあたりで調べられてはいかがでしょうか。

トリアージ(Triage)は、人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8

つまり、「人材・資源の制約の著しい災害医療」という「(制約)条件」下において、「最善の救命効果を得る」という「目的」が設定されていることです。

以下は、馬鹿馬鹿しいので反論お断りします。

> 後出しじゃんけんはみっともないですね。

後出しもなにも、あれが反語でないという読解の方がまともではないことは明らかです。そういう結論ありきの邪推がしたいのであればお帰り下さい。

> いえ、個人でも複数でも議論に一貫性がないとこちらは困るんです。

一貫性が損なわれていると思っているのはあなたが知識不足ゆえに誤読しているだけです。

snobbishinsomniac 2008/09/01 08:48
この先Sokalianさんにとってつまらないと感じる質問をするかもしれませんが議論をするための前提を確認するために「知識不足」な私が必要だと考えてする質問ですのでおつきあいをお願いします。
>hokusyu氏は福耳氏を批判する必要なんてどこにもありません。
hokusyu氏は福耳氏を批判したとSokalianは考えていらっしゃいます。hokusyuは福耳氏のエントリの何を批判したとSokalianさんは考えていますか。私からはSokalianが何を批判しているのかよく分からないのです。
>私に聞かず、Wikipediaあたりで
いえ違います。私が聞きたかったのはあなたが書いた「トリアージが成立する前提に無自覚だ」と書いたときに考えていた「前提」です。それはともかくとして「トリアージ」が成立しているかどうかは誰がどういう基準で判断するのかSokalianさんの考えをお聞かせください。

>読解の方がまともではないことは明らかです。
まともでないんですか。「後出し」を「後出し」というのが「結論ありき」というのはなぜそういう判断をされたのか理解できませんね。

>一貫性が損なわれていると思っている
私はSokalianさんの議論に一貫性が損なわれているなんて書いていませんが。深読みしすぎです。

Sokalian 2008/09/01 09:16
> hokusyuは福耳氏のエントリの何を批判したとSokalianさんは考えていますか。

私には理解できません。そこについて批判派に問うても答えがばらばらだから。最初は「トリアージホロコーストに通底する」と言っていたはずが、「講義での発言が不適切」となったりする。ところがこれはトリアージと関係ない。そして、あなたのように「経営学トリアージを持ち込むな」という、字義自体意味がわからないことをおっしゃる人もいる(たぶんこれが現在の最大派閥)


あと、以下についてはこれ以上下種の勘繰りをされる場合、不快なので削除します。

> 「後出し」を「後出し」というのが「結論ありき」というのはなぜそういう判断をされたのか理解できませんね。

何がどう後出しなのだか。まともに文章を読める人間なら当初の文章の意味は注釈抜きに明らかであり、あなたが意味不明な読解をしているから後から説明してあげたにすぎない。私のその好意を「後出し」などと中傷するとは心外も甚だしい。

snobbishinsomniac 2008/09/01 09:30
>> hokusyuは福耳氏のエントリの何を批判したとSokalianさんは考えていますか。
>私には理解できません。
元々問題は複数あるんです。その切り分けが出来ていない上に、housyuさんを批判する根拠をおもちではないということですね。ではhokusyuさんのエントリおよびそれをふまえた議論、さらにhokusyuさんたちのHALTAN氏への対応をSokalianさんが批判することは意味の無いことです。私からは以上です

snobbishinsomniac 2008/09/01 20:24
まずこれまでの話ではfuku33氏の元のエントリに
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127
>でもそういう非常事態では、特に医療資源は有限だからこそ、適切に配分しなければ
>ならないという考えなんだよ、とくどく説明した。
という記述があることからトリアージの現場での経営学を話題にしていたつもりである。すなわちトリアージの現場でいかに資源を「適切に」分配するかということが話題になっていると考えた。
もう一つの前提として現在考えられているトリアージは最適解ではなく一番ベターなものだというものがある。
Sokalianさんのこのコメント欄で議論を交わしたがトリアージ経営学の関係が曖昧なまま議論が進んでいる。
まず

Sokalian 2008/08/24 09:53
つまり、「トリアージ」を救急救命の方法論としてではなく、そのアナロジーを無批判に他分野に適用しようとした実例があったということですね?
だとすれば、それこそ粗雑なやりかたですね。トリアージが成立する前提に無自覚だということですから。

について私はfuku33氏への批判と同じものを見いだしたが、

福耳氏の例示は「理論の適用例」であって、これは類推などというものではなく厳密に当てはまるもですから、「アナロジー」と呼ぶべきではないでしょう。

とSokalianさんははそれを否定した。
また

Sokalian 2008/08/31 01:16
同様に、「最適配分」の考え方が一般論として説明され、「トリアージ」がその適用例として説明されるということは、「最適配分という一般論から、トリアージという例が導かれる」ということなのです。即ち、「最適配分」と「トリアージ」の密接な関係がきちんと示されている。これのどこが「無批判」でないことになるのですか?

と「トリアージ」は「最適配分」から導かれるとしている。ところがその下で

救急救命の組織に経営学が適用できる、というだけの話がどうして理解できないのか、そのことの方が私には不思議でなりません。

と急に「救急救命の組織」の話になっている。私は病院のことだと考えたが、救命救急の実施体制のことだと考えられなくもない。
実際私が現場で最適配分などする余裕がないという問いに

Sokalian 2008/08/31 02:29
> 「トリアージ」の現場には「最適配分」はありません。だって最適化する余裕なんてないし、さらにいえば検証不可能ですから。

だからこそ、状況をモデル化してあらかじめ分析しておき、対応策を定めておくわけです。念のため、「最適配分」とは、判断時間を考慮した上での「最適」です。福耳氏が「最適である」としていたのも、あくまでモデル上での「最適性」に過ぎません。個別の例に関する「最適性」は、検証不可能とは言わぬまでもかなり困難でしょうから。

と現場での最適化について否定していない。現に「個別の例に関する「最適性」は、」という言葉を使っている。

Sokalian 2008/08/31 10:27
> モデル化可能なんていうのは私からいわせれば極限の性善説であり合理主義ですね。

モデルの妥当性はともかく、モデル化は可能ですよ。そして、やってみもせずに情緒的な理屈で「モデル化が不可能」などと言い切ってしまうのは典型的かつ素朴な反科学としか言いようがありません。実際、トリアージはそういう想定に基づいて導出されたもので、これの妥当性は承認されているのでしょう?
(中略)
> でも人の生死を数十秒で判断する状況は絶対に現れません。経営学にも現れません。そこの認識が違うのです。

あなたの認識が間違っているだけのことです。実際、トリアージは最適配分の考え方で扱えるのですから。

> 「トリアージ」の現場で「全体や組織から見た最適」なんてものを求めるのです。目の前のいる重症の家族より他の軽症者を優先しろと言っているんです。

当たり前でしょう。福耳氏の想定は、「救急活動を指揮する立場にある者が以下に行動すべきか」なのですから。そんな責任ある立場にある人間が公私混同することが許されますか。

とやはりトリアージ現場での最適化という私の文脈に沿って回答をしている。

Sokalian 2008/08/31 22:11
> だからガイドラインをつくって判断者や医師が自分が決めたんじゃないと逃げられるようにしているのです。

法的責任はそうかもしれません。だとしても、倫理的な責任は?ガイドラインを決めた人に倫理的責任はないのですか?仮にそうだとしたらヒットラーにはホロコーストの責任はないんじゃないですか?

これは意味不明な発言だが、やはり現場での話である。
だから私はトリアージの実施に経営学的な最適化ができる話だと思い

snobbishinsomniac 2008/08/31 23:20
>「最適化」という手法は経営学のみならず、
それくらいは分かっています。それでその手法を使うと、例えば明日どこかで大震災が起こったとして生存者を最大にするために現地の医療従事者の状況確認をしつつこちらから医療従事者をどこに何人と決めて実際に必要な物資とともに送り出してある程度の治療もしているという状況を災害時生存率の閾値である72時間以内に整えられるのですか。治療に掛かれるかどうかは厳しいでしょうけど、誰を助けるかはをきめるくらいは迅速にできないと「最適化」の意味はありませんよ。モタモタしていたら助かる人もどんどん死んでいくんですから。「最適化」しているならばもちろん落ち着いた後には検証を行って今回の処置は最適化率がxx%なんて数字が出ますね。すごいですね。

と書いた。ところがここで卓袱台返しです。

Sokalian 2008/08/31 23:41
考えた結果がトリアージでしょう?おっしゃることがさっぱりわかりません。
(中略)
仕方ないですね。他にマシなやり方がないんですから。

と「マシ」なものであって最適化されたものでないといっています。では彼にとって「トリアージ」と「経営学」の関係はどうなっているんでしょう。結局何も示していません。トリアージが最適化でない以上経営学との接点は無いということを彼は身をもって示したのです。
最後に

Sokalian 2008/09/01
> hokusyuは福耳氏のエントリの何を批判したとSokalianさんは考えていますか。
私には理解できません。

ですから、結局りかいできないのに批判のための批判をしていたと言うことですね。